みなさん、おはようございます。 今日はいよいよ彼とその三百人の仲間たちが、13万5千人のミディアン人を完膚なきまでに打ち破る場面です。しかし正しくは打ち破ったのは、ギデオンら301人ではなく、神さまです。神さまは、人の助けを必要とされないお方です。神に敵対する、あらゆる者をたったお一人だけで打ち破ることのできるお方です。301人が壺を砕き、たいまつを掲げて、角を吹き鳴らす方法は、神がそうせよと命じたものではありません。これはギデオン自身が考え、命じたものです。 しかしここに、ひとつの適用があります。神は私たちに勝利を約束しておられます。私があなたがたのために戦うから安心せよ、と言われます。そうか、じゃあ、何もしないで待っていよう。それもいいでしょう。しかしギデオンは、神から命じられたからではなく、自分で考えました。この301人は何をすべきか。自分のいのちをかけて、何ができるのか。その答えが、壺を割り、たいまつを掲げ、角笛を吹き鳴らすという行動です。実際には敵を打ち破ったのは、同士討ちを起こさせた神ご自身でありました。しかし私たちが自分の頭で考え、信仰を働かせ、神のために何かをなしたいと願うとき、神はそれを、かえって足手まといだからやめとけ、とは言われないのです。 神のことを考えず、信仰を働かせずにこの世のやり方で戦おうとするときには、神はやめよ、あなたがたは黙って私のすることを見ていよ、と語られます。しかし私たちが信仰を働かせるとき、それがどんなに微力であったとしても、神はご自分の100パーセントの働きに、その私たちの小さな働きを加えてくださるのです。 神さまを庭師にたとえている箇所が、聖書の中にいくつかありますが、私たちがすることは、ある意味、庭師が緻密な計画をして庭の手入れをしているところに、その庭師の幼い子どもが小石を並べたり、植木の向きを変えたりして、余計なことをしているのかもしれません。 しかし父親の庭師はそれに対して、邪魔だから向こうへ行っていなさいとは言いません。それは自分の子どもが、自分なりに父親を手伝おうとして、一生懸命知恵を働かせてやっていることだからです。仮にこどもがバラを頭からちょん切ってしまったとしても、神である庭師には、そのリカバリーは造作もないことです。私たちが信仰を働かせて神さまのために何かをしようとするならば、神は必ずそれを受け止めてくださいます。しかし信仰ではないものを動機として神のしていることにちょっかいを出そうとするときには、神はそれをとどめられるのです。 9節で、神はこうも言われています。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」。「あなたの手に渡す」ではなく、「あなたの手に渡した」とはっきり語っておられます。 神が何かを私たちに語ってくださるとき、それはこれから準備するから、ではなく、すでにやっといたよ、といういわば事後報告です。会堂建設のために献金くださった、ある教会の先生に御礼を伝えたところ、こんな言葉が返ってきました。「新会堂は、みなさんがそれをみこころと受け止めたときに、もう建ってますよ」と。神さまが私たちに約束を語ってくださるとき、じつはそれは将来の約束ではなく、すでに実現したことなのですね。 その意味では、神の約束は、あたかも天に瞬いている星の光のようです。今のような真冬の時期、空を見上げるとオリオン座が輝いています。オリオン座には、とりわけ明るい二つの星があり、赤いベテルギウスは地球から約600光年、青白いリゲルは約860光年の距離にあると言われています。つまり、私たちの目には、今輝いている星の光は、じつは何百年も前にその星を出発した光ということです。神が私たちに語られる約束のことばは、今思いついて今語った、というものではなく、それはナントカ光年どころか、永遠をさかのぼり、すでに計画されていたものです。私たちのところに届いたとき、すでにそれは実現しているのです。 神はギデオンに対して言われました。もしあなたが下っていくことを恐れるならば、従者と共にミディアンの陣営に入りこみ、彼らが何を言っているのかを聞け」と。そこでギデオンが見たのは、すでに神がミディアン人の中に、神とギデオンに対する恐れを溢れさせておられる、ということでした。大麦のパンのかたまりが宿営を襲うという不吉な夢に対して、「それはギデオンの剣だ」と彼らは噂し合うのです。神は、神を知らない異教徒であるミディアン人の中にさえ、ご自分の栄光と権威を働かせておられるお方です。クリスチャンの数は、この日本ではわずか1%以下と言われます。もし神が、クリスチャンだけの神であれば、この数字に気落ちしても仕方がありません。しかし神はクリスチャンだけを造った神ではなく、全人類を造られたお方です。この日本においても、神は99%のノンクリスチャンのあいだでも働いておられ、ご自分の計画を実行されるお方です。ギデオンは敵のただ中で、大胆にも神に礼拝をささげました。それは、神が敵地の中にも生きておられると確信したからです。 神が約束されたとおり、ギデオンの手は強くなり、ミディアンの陣営に下ることを恐れなくなりました。神にはすべてが見えており、すべてをご計画のままに行われるのです。その後、ギデオンが自らの信仰を働かせて、301人で何をしたのかは、説明の必要はないでしょう。しかし一言だけ付け加えるならば、ギデオンはもはや主の約束を疑いません。神がすでに私たちにミディアンの陣営をすべて渡してくださった、と。壺とたいまつ、そして角笛。武器と呼ぶことはできないこれらを手にしながら、彼らは信仰によってこう叫びました。「主の剣、ギデオンの剣だ」と。私たち教会にとっても同じです。必要なものは数ではなく、金銭ではなく、人脈でもなく、神は、私たちに与えようとしているものをすでに与えてくださっている、という信仰です。神が私たちに志を与えてくださったとき、それはすでに完成しています。その信仰を、教会総会という日、改めてひとり一人が心に刻みつけていきたいものです。神がすべてをすでに備えてくださっていることを信じて、歩んでいきましょう。