恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

「RESURGAM(レスルガム)~私たちは再び立ち上がる」(列王第一8:12-21)

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 みなさん、おはようございます。
今日、私たちはこの古家での最後の礼拝を迎えています。
思い返せば、今から4年半前、臨時総会を開いてこの250坪の土地を取得することが満場一致で議決されたとき、私たちは大きな希望に胸を膨らませました。
長年の悲願であった広い駐車場を備え、次世代へとつながる新しい教会形成がここから始まると確信したのです。
しかし、そのわずか半年後、長年共に歩んできた数名の教会員が突然他教会へ移るという、非常に辛く悲しい出来事があり、教会は大きく動揺しました。
さらにその年の暮れには、元のかやまの教会堂周辺で日曜日のみお借りできていた、医院や薬局の駐車場が次々と借りられなくなるという事態に直面し、まるで荒れ野に立たされたような不安を覚えました。

 しかし、神様は道を備えておられました。
この土地に残されていた、この古家を仮の会堂として用いる道が開かれたのです。
冬場はお湯も出ない厳しい環境でした。
しかし、この4年という月日、私たちはここで共に身を寄せ合うようにして礼拝を守り、新しい会堂の完成を待ち望んできました。
この待ち望む時間は、決して無駄ではなかったと思います。
そして今日、私たちが開く本日の聖書箇所、列王記上の第8章には、長い年月と多くの苦難を経て完成したソロモンの神殿奉献の場面が記されています。
この御言葉を通して、神様の真実を見つめてまいりましょう。

 ソロモンの神殿が完成し、契約の箱が運び込まれると、神殿は「濃い雲」に満たされました。
それは、神ご自身の臨在を示すしるしでした。
その荘厳な光景の中で、ソロモン王は民に向かって振り返り、祝福の言葉を語り始めます。
ここでソロモンが語ったのは、自分自身の偉大な業績ではなく、父ダビデから続く「神の真実の歴史」でした。

 父ダビデは、神様のために立派な神殿を建てることを心に強く願い、その準備を進めていました。
しかし、神様は預言者ナタンを通して「あなたが建てるのではない。
あなたの息子が建てるのだ」と告げられました。
ダビデにとって、それは自分の代では夢が叶わないという、ある種の挫折であったかもしれません。
当時の社会において、王が神殿を建てることは最大の誉れだったからです。
しかし神様は、目に見える建物以上に、ダビデが『神のために』と心に抱いたその熱い思いそのものを、『良いことである』と大いに喜んでくださったのです。

 神様の計画は、人間の思い描くタイムラインや方法とは異なることがあります。
しかし、神様は決して約束を忘れることはありません。
ダビデの挫折と忍耐の向こう側に、神様はソロモンという次世代を通して、壮大な救いの歴史と御計画を確実に成し遂げられたのです。

 ソロモンは15節でこう語っています。
「主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて、こう言われた」。
ここに、忘れてはいけない深い真理があります。
人間の歴史を本当に動かしているのは、私たちの力や計画ではなく、神様の「御口が語った約束」であり、神様の「御手が成し遂げるみわざ」だということです。

 この真理は、私たちの教会の50年以上の歩みそのものでもあります。
この町に豊栄キリスト教会が誕生して半世紀、この場所で産声を上げ、洗礼を受けた方はじつに100名近くに上ります。
しかし、そのうち半数近い方々が、さまざまな理由で教会から離れていかれました。
そして今、私たちは子どもたちも含めて約30名で礼拝を守っています。
時に私たちは、『なぜ思い通りに進まないのか』『私たちの祈りや努力が足りなかったのだろうか』と、自らを責め、深く落胆することもあったかもしれません。
先ほど触れた教会員の離脱といった、大きな出来事だけではなく、なかなか求道者が訪れない、一度来ても二度目が続かない、受洗者が数年間起こされない、といった、じわじわとお腹が痛くなってくるような事態もそうでした。
しかし、ダビデの計画が神様のより大きな計画の中に組み込まれていたように、私たちの痛みの経験もまた、神様の「御手」の中にあるのです。
人間の目には後退に見える出来事さえも、神様はご自身の教会を真に堅固なものとするための準備期間として用いてくださいます。

 ここで、ひとつの歴史的なエピソードをご紹介したいと思います。17世紀、ロンドンを大火災が襲い、街の象徴であったセント・ポール大聖堂も焼け落ちてしまいました。
クリストファー・レンという名の一人の建築家がその焼け跡に立ち、再建のための測量を行っていた時のことです。
彼は瓦礫の山の中から、焼け焦げた古い墓石の破片をひとつ見つけました。
そこには、ラテン語で「RESURGAM(レスルガム)」――「私は再び立ち上がる」という言葉が刻まれていたのです。
レンはその言葉に深く打たれ、その石を新しい大聖堂の中心的な土台の一部として据えました。
灰の中から見出された希望の言葉が、新しい建物の礎となったのです。

 私たちの教会も同じです。
痛みを経験し、お湯も出ないこの古家での不自由な4年間を過ごしました。
これからの会堂の返済を考えれば、子育て中の方も、年金生活の方も、それぞれに不安を抱えておられるかもしれません。
しかし私たちはこの不自由な場所で、『神様が必ず備えてくださる』という信仰を培ってきました。
それこそが、私たちの心に据えられた『RESURGAM(再び立ち上がる)』という確かな礎石となったのではないでしょうか。
神様は、私たちの不安も弱さもすべてご存知の上で、今日という日を迎えるまで支え続けてくださったのです。

 ソロモンは20節で「主はお告げになった約束を果たされた」と高らかに宣言しています。
私たちが今日、この古家での最後の礼拝において心に刻むべきことは、まさにこの神の真実です。
人数が多いか少ないかが問題ではありません。
30名であっても、そこに賛美がささげられ、みことばが語られ、真実に神を礼拝する群れがいるならば、そこには必ず救いのみわざが起こされていきます。
このお湯の出なかった古家にも、神殿を覆ったあの「濃い雲」のように、神様の臨在が豊かに満ちていました。
ここは不自由な古家ではありましたが、決して単なる仮の宿ではありませんでした。
私たちが神様の真実に深く触れ、新しい歩みへ向けて『再び立ち上がる力』を養っていただいた、かけがえのない聖なる場所であったのです。

 来週から、いよいよ新しい会堂での礼拝が始まります。
そこには、これまでとは違う新しい景色が広がっていることでしょう。
お湯もちゃんと出ますし、開かない扉もありませんし、天井は雨漏りとは無縁です。
それでも私たちの前には、まだ見ぬ課題が出てくることでしょう。
しかし、ここまで私たちを導き、「御手をもって成し遂げて」くださった神様が、これからも共にいてくださいます。
4年間のときわ会堂、そして50年間のかやま会堂で経験した神様の助けを深く信頼しながら、新しい一歩を踏み出していきましょう。
主の豊かな祝福と平安が、お一人お一人の上に豊かにありますように。