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みなさん、メリークリスマス。今日は特別な日です。
街にはイルミネーションが輝き、ケーキやプレゼントを楽しみにしている方も多いでしょう。
けれども、クリスマスの本当の意味は「イエス・キリストの誕生」にあります。
牧師になる前、千葉県にある教会に通っていましたが、そこにいた小学生に「クリスマスって何の日?」と聞いたことがあります。
その子は「サンタさんが来る日!」と答えました。
確かにそれも楽しいことですが、クリスマスは「神が人となってこの世界に来られた日」なのです。
その子のお母さんがこう話していました。
「子どもがサンタさんを楽しみにしているのは嬉しいけれど、私自身はクリスマスになると、家族で集まれることが一番の喜びです。」
その言葉に、クリスマスは「誰かが来てくれる日」であることを改めて感じました。
神が人となって来てくださったことも、まさにその「来てくれる喜び」です。
まさにクリスマスは、神がご自分を最大の贈り物として、私たちに与えてくださった、ということなのです。
先ほど読みました、ルカの福音書2章には、イエス・キリストの誕生の場面が描かれています。
二千年前のイスラエル、当時はユダヤと呼ばれていましたが、そこにある小さな町、ベツレヘムの片隅で、マリアという女性が男の子を産みました。
父親はヨセフですが、彼は本当の父親ではありません。
マリアに宿ったのは神の子どもでした。
しかし神の子どもが生まれたのに、宿屋には泊まる場所がなく、飼い葉桶に寝かされました。
それは、私たち人間が、ふだんから神さまに守られて生きているのに、それに気づかない姿によく似ています。
先日、私は車を運転していて、少しアブナイ目に遭いました。
詳細は省きますが、一緒に乗っていた妻に、「普通はあそこで止まるよね、ね、止まるよね」と、相手の車に文句を垂れました。
妻はずっと黙っていましたが、私も気づいていました。
「普通は」とか繰り返す時点で、自分が悪いと感じていて、それを認めなくないから「普通は止まるよね」とか言うのです。
信仰の世界は、普通の常識では信じられないことです。
「普通はそんなこと起きないでしょ」「普通はあり得ないよね」。
「普通は」という常識を盾にして、神が赤ん坊の姿で生まれるはずはない、と言い張るならば、あなたのために神はこの世界に来てくださったのだ、というクリスマスの恵みを取り逃してしまうことになるでしょう。
世界を変える出来事は、必ずしも大きな舞台から始まるわけではありません。
例えば、日本のある小さな町から始まったボランティア活動が、やがて全国に広がり、多くの人を助けるようになったという話を聞いたことがあります。
最初はほんの数人の思いやりから始まったのです。
イエス・キリストの誕生も同じです。
王宮でもなく、大都市でもなく、家畜小屋という小さな場所から始まりました。
しかしそこから世界を変える救いが始まりました。
そして今日、みなさんがこの教会に来られて、イエス・キリストの誕生を伝える聖書を聞いたこともそうです。
もし、私たちの心がイエス・キリストを救い主として迎えるならば、それはやがて家庭を変え、職場を変え、社会を変え、世界を変えていくことになる。
何を大げさなと思うかもしれませんが、そんなことが起きるはずがない、という証拠もありません。
野原で寒さに凍えていた羊飼いたちに、天使たちが現れて、彼らにこう伝えました。
「今日、ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」
救い主とは、私たちを罪や絶望から救い出す方です。
私たちは誰もが心の中に不安や孤独を抱えています。
成功しても満たされないことがあります。人間関係で傷つくこともあります。
そんな私たちに必要なのは「救い主」です。
イエス・キリストは神の子でありながら、人として生まれ、私たちの痛みを知り、十字架で命を捧げてくださった方です。
この方こそ、あらゆる人が必要としている、神さまからのプレゼントです。
ある家庭では、子どもが「今年は何もいらない。
お父さんとお母さんが仲良くしてくれることが一番のプレゼント」と言ったそうです。
その言葉に両親ははっとして、ともに涙を流しました。
もちろん感動の涙ではなく、子どもを追い詰めていたことにごめんなさいの涙でした。
でもその子どもは両親に教えてくれたのです。
もう一度、家族がお互いに愛し合うこと、それが何よりも幸せなことなんだ、と。
プレゼントの本当の意味は「愛を伝えること」です。
神が私たちにくださった最高のプレゼントが、イエス・キリストなのです。
イエス・キリストは二千年も昔に、日本から遠く離れた、ベツレヘムの小さな町で生まれました。
ですから多くの人々は、私には関係ない、と初めからこの出来事を避けてしまいます。
しかし、時代や距離は関係ありません。
イエスさまのお誕生は、今ここにいる私たち一人ひとりに深く関わっています。
羊飼いたちは天使の知らせを聞いたとき、「行って見よう」と決断しました。
彼らは立ち上がり、飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんイエスに出会い、心から神を賛美しました。
信仰とは、難しい理屈や複雑な知識ではありません。
心の中で「イエス様、あなたを私の救い主として受け入れます」と祈ることです。
神はその素直な祈りを喜んで受け止めてくださいます。
ある青年の証しを紹介します。
彼は人生の方向性を見失い、孤独と不安の中にいました。
そんな時、教会で「神はあなたを愛している」という言葉を聞き、心が大きく動いたのです。
「自分は愛されている」という確信が彼を立ち上がらせ、人生を新しく歩み始める力となりました。
信仰とはそのように、心の中で神の愛を受け入れる決断なのです。
今日ここにいるあなたも、羊飼いたちのように「行って見よう」と心を動かすことができます。
イエス・キリストはあなたを招いておられます。
「恐れるな」と語られた天使の言葉は、今もあなたに向けられています。
信じるとは、ただ心を開き、イエスを迎えることです。
ここで皆さんと一緒に祈りたいと思います。
短い祈りですので、心の中で、あるいは声に出して繰り返してみてください。
「イエス様、ありがとうございます。あなたを信じます。
私の心に来てください。私を導いてください。アーメン。」