みなさん、こんばんは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
1月1日の能登半島地震で被災されたすべての方々に、主の慰めと助けがありますようお祈りいたします。
最近、「次に地震が来るのは新潟」という情報がネットをはじめとして様々なメディアで流れているようです。
次の「M7クラス」大地震の前兆が現れている…!日本地震予知学会がいま、もっとも心配している「港町の名前」
新潟に住んでおり、しかも会堂建設を控えている当教会にとって、これはひとごとではありません。
ただこの「
日本地震予知学会」、学会とついていますがホームページを見ても、いったいどれくらいの会員数がいるのかも不明です。
似た名前の「日本地震学会」は140年以上の歴史を持ち、2010年の会員数2000人を擁する公益社団法人ですが、
「日本地震予知学会」については、中心メンバーである教授の意見を、たくさんの学会構成員の公式見解のように誘導するあざとさ(これは学会ではなく週刊誌に責任がある)を感じます。
ちなみに日本地震学会の立場は
「地震予知(警報につながるほど確度の高い地震予測)を行うのは非常に困難であると考えています」というものです。
地震については決して警戒を怠ってはならないことは確かですが、具体的に場所を予知できるほど確実なものではないことをわきまえていきたいと思います。
聖書箇所 『詩篇』129章1-8節
<都上りの歌>
1「彼らは私が若いころからひどく私を苦しめた。」さあイスラエルは言え。2「彼らは私が若いころからひどく私を苦しめた。しかし彼らは私に勝てなかった。3耕す者たちは私の背に鋤をあて長いあぜを作ったが。」4主は正しくあられ悪しき者の綱を断ち切られた。5シオンを憎む者はみな恥を受けて退け。6彼らは伸びないうちに枯れる屋根の草のようになれ。7そのようなものを刈り取る者はつかまず束ねる者も抱えることはない。8通りがかりの人も「あなたがたに【主】の祝福があるように。【主】の名によって祝福あれ」と言うことはない。
2017 新日本聖書刊行会
おはようございます。今日は詩篇129篇から、私たちのために用意されているみことばの祝福をいただきたいと願います。まず今日の聖書箇所は、表題に「都上りの歌」とついています。この「都上り」とは、イスラエルの人々が、過越の祭とか、仮庵の祭りなど、年に数回あった大きな祭りのときに全国からエルサレム神殿に巡礼に上ってくることを指しています。日本の江戸時代にも、60年に一度、全国から伊勢神宮に巡礼に行く「お伊勢参り」というのがありました。江戸時代、農民は自分の住んでいる所から出ると厳しく罰せられたのですが、このお伊勢参りだけは特別に許されたそうです。江戸時代、日本の人口は3千万人くらいだったそうですが、この60年に一度のお伊勢参りのときには半年間で460万人が訪れたそうなので、大変な賑わいぶりだったようです。
イスラエルにおけるエルサレム巡礼は、60年に一度というようなものではありませんが、やはり一般庶民にとっては大変大きな憧れでした。詩篇には、この「都上りの歌」という標題がつけられている歌がいくつかあります。あるものはエルサレムに出発するときに地元で歌われ、あるものは旅の途中で歌われ、またある者は到着してから、神殿で礼拝をささげるときに歌われました。そしてこの詩篇129篇は、最初に「さあ、イスラエルは言え」というような呼びかけがあるところから、エルサレム神殿に到着した巡礼者たちに対して、礼拝の中で聖歌隊であるレビ人が巡礼者に呼びかけ、そして聖歌隊と巡礼者が一緒になって告白するというものであったと想像されます。
しかし、この詩篇を口すさんでみて、どうでしょうか。巡礼というものにどこか似つかわしくないような、暗い雰囲気の言葉から始まります。1節から2節までをもう一度読んでみます。「彼らは私の若い頃からひどく私を苦しめた。」さあ、イスラエルは言え。「彼らは私の若い頃からひどく私を苦しめた」。
ここでいう「彼ら」とは、イスラエルに敵対していた、周囲をとりまく外国の民、そして「若い頃」とは、イスラエルがエジプトを脱出し、約束の地に向かって歩んでいた頃の時代をさすと考えられています。イスラエルの人々は、自分の先祖たちが外国の民にしいたげられていた頃を忘れるな、ということでしょうか。しかし、同時にこれは単にイスラエルの歴史を思い起こさせるためではなく、礼拝のときに歌われた、ということを忘れてはならないでしょう。礼拝に集まってきた一人一人に対して、祭司を通して、神はこう語りかけます。「あなたの心の中の、もっとも苦い思い出に手を差し入れよ」と。
自分の心の中にある、一番苦しい記憶を思い起こす。それは私たちにとっては、たいへんつらいことです。知人の牧師の教会に、いわゆるPTSDといわれるものの後遺症で苦しんでいる信徒の方がいるそうです。若い頃に、心が壊れてしまうほどの痛みを人間関係の中で与えられ、それが突然思い起こされるとき、本人曰く、地獄よりもつらい苦しみを味わうと言います。そこからの助けを求めて、その方は教会の門を叩きました。イエス様を信じておられますが、しかしまだその後遺症から完全にいやされたということではない。その方にお会いしたことはありませんが、礼拝の中で、最も苦い思い出に手を差し入れよ、などとは何とひどい言葉かと憤慨されるかもしれません。
しかし神は、礼拝する人々にこう言われるのです。さあ、イスラエルは言え。彼らは私の若い頃からひどく私を苦しめた、と。その言葉の通りに、礼拝の中で人が自分の内にあるもっとも苦い思い出に手を差し入れるとき、そこで新しいみことばが語られます。「彼らは私に勝たなかった」と。私のもっとも苦い日々においてさえ、私の気づかないところで、神は私を支え、導いてくださっていた。同じ礼拝の中で、そのような気づきが与えられることがあります。
3節の「耕す者は私の背に鋤をあて、長いあぜを作った」ということばは、私たちの心が土地にたとえられています。「耕す」というのはここでは悪い意味で、鋭い鍬の先で私の心を掘り起こし、土をかきまぜ、傷つける人々、ということです。そのような人々が耕す者と言われているのは、彼らは他人の心を傷つけることで、自分たちのために種を撒き、収穫を得ようとしていることを暗に示しています。許されないことですが、本来子どもを守る者であるはずの親が、子どもを利用して自分の叶えられなかった夢を果たそうとすることがあります。子どものため、といいながらじつは自分のエゴのために、そんな傷を私たちは知らず知らずのうちに受けます。親に限りません。社会のあらゆる面にそのようなものが満ちています。
しかし、4節ではこうあります。「主は正しくあり、悪者の綱を断ち切られた」。「綱」とは、当時の人々が農地を耕すときに、牛の背中に綱をゆわえつけ、大きな鋤を引っ張らせてあぜを作ったことを表しています。しかし主なる神は、私たちの背中からその綱を断ち切りました。「断ち切る」とは、もはや決して結びつけられることはない、という意味です。
かやまにある教会堂の前にある掲示板には、小さな文字で「すべて疲れた人、重荷を負った人はわたしのもとにきなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」ということばが印刷されています。この「わたし」とはいうまでもなく神の子イエス・キリストを指しますが、実際の聖書では、そのあとにこういう言葉が続いています。「あなたがたはわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」。
「くびき」とは、先ほど言った、牛が土地を耕すとき、二匹の牛を並べて、それぞれの首に木の枠をはめて、単独行動をしないようにするためのものです。私たちは、自立していると自分では思っていても、実際には世の中の考え方、親や上司の見方、世間体、あるいは抜けられない悪習慣のようなものにがっちりとくびきのようにはめこまれて生きていました。しかしイエス・キリストは、それを外し、改めて今度はイエスとのくびきにつけかえてくださったのです。なんだ、おなじことじゃないか、ということは決してありません。キリストのくびきは負いやすいからです。私たちがイエス・キリストを信じるとき、私たちを縛っていた綱は断ち切られ、灰色のくびきは外されます。そして私たちの人生を利用して糧を得ていようとしていた者は、決して実を結ぶことができません。キリストに自分の人生をゆだねるとは、じつは私たちが新しい重荷を背負うということです。しかしそれは重荷であって、重荷ではない。キリストは言われます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。だからわたしのくびきを負い、わたしから学べ、と。そこには平安があります。
「主の御名によって祝福があるように」は、イスラエルにおける最高のあいさつでした。かつては祝福が取り去られていた人生は、私たちがイエス・キリストを信じるときに逆転します。そして私たちは祝福を受け取り、さらに他の者たちにも祝福を与えることのできる人生へと変えられます。どうか、このイエス・キリストにあるすばらしい生き方を受け取っていくことができるように。主の祝福があなたがたにあるように。主の名によってあなたがたを祝福します。と高らかに叫ぶことができる人生へと歩み出しましょう。