聖書箇所 Ⅱコリント1章1~7節 1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカイア全土にいるすべての聖徒たちへ。2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。3私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。4神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。5私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。6私たちが苦しみにあうとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。7私たちがあなたがたについて抱いている望みは揺るぎません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めもともにしていることを、私たちは知っているからです。昔、新潟日報の新人記者が書いていたジョークですが、その方は東京生まれの東京育ち、新潟、とくに沼垂あたりはたいへん方言がきついところなので、地元の人に取材しても何を言っているかわからなくて、記事が書けないということがあったそうです。そしてある日、上司から、挨拶回りのリストを渡されたとき、どうしても読むことができない町の名前がありました。そこでおずおずと聞いたそうです。「あの~、この町の名前、なんて読むんですか。ニイハッタ?それともシンハッタ?」。みなさんはどこの町かわかりますね。そう、新発田のことです。新発田の人を敵に回しかねないジョークですが、私の経験ではなくその新人記者の書いていたことですので。ただその記者さんが最後に書いていたのは、ニューヨークで一番栄えている町をマンハッタンというので、ニイハッタンもきっと新潟で一番栄える町になるでしょう、と。 とはいえ、この記者さんにわざわざ言われなくても、ニイハッタン、あるいは新発田は、もともと新潟で一番栄えていた町のひとつといってもいいのではないかと思います。明治期のキリスト教の中心人物のひとりで、同志社大学の創設者である新島襄は、新発田と長岡、そして新潟を結んだ三角形が、新潟宣教百年の鍵だと語ったそうです。教会がない町に教会を建てていくことも大事ですが、これから人口が増えていく町はどこかということをしっかりと調べながら、宣教の拠点を作っていくということも大事なことでしょう。パウロの伝道旅行は、一つの場所に滞在するのは長くて数週間でしたが、このコリントの町は一年半、腰を据えて宣教しました。それは当時のアジア地方の経済、文化、交通の中心地であったこのコリントの町に、福音的な教会を建て上げることで、これからのアジア宣教の拠点となるとパウロが考えたからでしょう。 このコリントの町にはユダヤ人を含めて、多くの民族が集まっており、まさに人種のるつぼと言えるほど栄えていました。しかしだからこそ誘惑も多く、このコリント教会は多くの霊的問題や、性的な罪、教会員同士の対立、といったことがたびたび起こりました。しかしパウロは、それでもこのコリントの教会も、聖霊が生きておられる、神の教会なのだと言っています。どんなに問題がある教会であっても、決して神は拒むことはありません。むしろその問題に対して、内部のクリスチャン一人ひとりがどのように誠実に向き合っていくかということを通して、神の栄光が証しされていきます。豊栄教会は、全体の6割以上が、豊栄以外に住んでいる教会員です。しかしそれは、この町に伝道してこなかったということではありません。むしろ私たちは、この町に住んでいないクリスチャンたちが、どれだけこの町の人々のために仕えることができるかということを神様から試されている、貴重な特権を与えられています。 この箇所には、苦しみという言葉と慰めという言葉が何度も、かわりばんこに出てきます。ここで「苦しみ」と訳されている言葉は、ギリシャ語では「スリプシス」と言い、人に与えられる、具体的、肉体的な圧迫を意味しています。この言葉の語源は、古代ギリシャにおいて、主人の家から逃げ出して捕らえられた奴隷が、その胸の上に重いおもしを載せられ、おしつぶされて殺されたことにあったといいます。私たちはもはやこの世界の奴隷ではありません。しかしこの世界は、私たちをキリストのしもべから、かつてのおぞましい罪の奴隷へと引き戻しましょうと、あの手この手を尽くしてきます。実際、キリスト教が生まれて300年間、クリスチャンになるのを選ぶことは、日々、この肉体的患難に出会うことを選ぶということに他なりませんでした。彼は、家族の者に捨てられ、異教徒の隣人たちに敵視され、支配者から迫害されることを覚悟しなければなりませんでした。 すでに故人となられましたが、当教会とも関わりのある、F先生という方がおられました。東京のK町で長らく牧会されましたが、それより前に、石川県のDという町に派遣されていました。ここはたいへん浄土真宗の影響が強い町で、戦国時代には一般門徒が火縄銃で織田信長と何年も戦ったような所です。しかしそのような町にも、小さな教会があり、F先生はそこに赴任したのです。しかし町の人からは無視され、中傷に悩まされ、当時の教団理事は、D町の教会はいったん閉じて、別の場所に移るべきだと助言したほどでした。明治時代の話ではない、昭和40年代、今から50年前の話です。本当のキリスト者になるということは、つねに、大きな犠牲を伴うことです。肉体においても苦しんだ証しである血がこびりついた十字架なしには、キリスト教はあり得ません。 D町に遣わされたF先生もまた、大変な迫害を受けましたが、自分からやめたいと言うことはなかったそうです。ひたすら忍耐をし続けました。それから半世紀、今はD町は合併によりK市となりましたが、D川のほとりに今も教会は立っています。それは、半世紀の間、そこで生活し続けた教会員たちが、ひたすらみことばを伝え、そして伝えているみことばが嘘にならないよう、自分自身もまたみことばによって生きてきたからです。迫害があろうとなかろうと、神から与えられている生活の中で、私たちは語ることから逃げることがないようにと願います。今から半世紀後、あるいはそれよりもずっと早く、再び信仰のゆえに迫害される時代が来るかもしれません。しかしどのような時代でも、私たちはただイエスの恵みを語り続けましょう。 私たちは、この試練にひとりで忍耐するのではありません。私たちには神の慰めがあるのです。ここには「慰め」という言葉が9回も出てきます。新約聖書における「慰め」とは、同情というよりも、力が与えられる、という意味があります。傷のなめ合いのような慰めではなく、慰められた後、それまでの自分にはなかった力が与えられる、それが聖書の慰めです。苦しみに会うとき、私たちは同時にキリストの苦しみにともにあずかっています。もしあなたが苦しみを味わうならば、それはイエス様と同じ苦しみを受けるということであり、それは苦痛ではなくて喜びでさえあるのです。苦しみに出会ったとき、私たちは「主よ、いつまでですか」と叫ぶのではなく、「私をこの苦しみにふさわしい人間と認めてくださったことを感謝します」と言うことができます。そしてクリスチャンは、そのような信仰への成長を繰り返しながら、他の人にも力を与えていく者へとされていきます。苦しみさえも用いてくださる神に心から感謝しつつ、歩んでいきましょう。2017 新日本聖書刊行会