恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2020.12.20主日礼拝説教「羊飼いのように」(ルカ2:1-20)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。 外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。 週報はこちらです。 聖書箇所 『ルカの福音書』2章1-20節 序.  今日はいよいよ待降節第四週、今年は新型コロナウイルスの影響により、当教会自慢の豪華な祝会が開催できませんが、 湯気を立てている温かいスープや、教会員のもてなしの心にあふれているオードブルがなくても、私たちは幸いな礼拝が与えられています。 天の父なる神さまは、すべての人が笑顔になれるように、とっておきのプレゼントをこの日、この世界に贈ってくださいました。 それが、飼い葉おけに寝かされたみどりご、そして私たちの救い主であるイエス・キリストです。 1.  8節をお読みします。「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた」。 羊飼いたちは、羊の飼い主ではなく、雇われた人々にすぎません。彼らは貧しく、さげすまれ、何かをプレゼントされることと無縁な人々でした。 しかし神は、この羊飼いたちに真っ先にプレゼントの知らせを持ってきたのです。 9節、「すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」。 暗闇にまぶしく光る天使たち、そしてさらに光輝く主の栄光は、暗闇の生活に慣れた彼らの目には、まるで恐ろしすぎるものだったでしょう。 しかし恐れの中で、ただ、静かな、そして優しい声が聞こえてきます。そしてそれは、彼らにとって信じられないよき知らせでした。 「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを知らせます。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」。  神は「家畜小屋の飼葉桶に」プレゼントを用意しました。それはがっかりするようなプレゼントの置き場所だったでしょうか。 いや、もし救い主が、普通の人々の貧しさや痛みを知らないお方だとしたら、私たちは決して望みを置くことはできないでしょう。 生まれたときから極度の貧しさ、凍えるような寒さ、家畜の匂いにまみれた救い主、それがまさに想像をはるかに超えた贈りものだったのです。 2.  そして羊飼いだけではなく私たちにも、想像を遥かに超えた知らせが贈られています。 それは私たちがこのイエス・キリストを救い主として信じるならば、永遠なる、完全なる、幸いなる人生が待ち受けているという知らせです。 だれがそんな都合のいい話を信じるでしょうか。しかし人の常識や想像を越えたものが、神の贈りものなのです。 神は私たちひとり一人にこう話しかけておられます。あなたの罪の身代わりとしてわたしはわがひとり息子イエス・キリストをあなたに与える。 あなたが自分の罪によって永遠に滅んでしまうことをわたしは喜ばない。だからこのイエスの十字架を通して、あなたの罪をすべて赦そう。 たとえあなたがどのような者であろうとも、ただキリストの十字架によって、私はあなたを赦し、愛し、すべての恵みを与えよう、と。  天使たちが歌いました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」。 かつていと高き所におられたキリストは、そのまばゆいばかりの栄光をかなぐり捨てて、この地上に来られました。 天使は涙を流さないかもしれません。しかしもしかしたら、このとき天使たちは鼻をすすり、涙ぐみながら賛美をささげたかもしれません。 万軍の主、全宇宙の創造者、あらゆる被造物の支配者である方が、産湯もゆりかごもなく、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている。 彼らは主の主、王の王であるキリストの、その犠牲のゆえに、高らかに賛美します。全人類のために、すべての栄光を捨てられた創造主よ! あなたがそこまでして救おうとされるこの人々に完全なる平和がありますように。そして我らが主に、とこしえまで栄光あれ、と。  二千年前の大空に響き渡った、この喜びのメッセージは、王でも学者でもなく、羊飼いに届けられました。 彼らは社会の底辺に位置し、影響力もない人々でした。しかしだからこそ、神の救いのことばは真っ先に彼らに向けられたのです。 「あなたがた」という言葉が何度も繰り返されています。「あなたがたのために生まれた、あなたがたは見つける、あなたがたのためのしるし」。  羊飼いは、社会からは無価値の者とみなされていても、彼ら自身は、自分たちのことをそうは思っていなかったかもしれません。 しかし今日、自分で自分のことを価値がなく、無力であると決めつけている、数え切れない人々がいます。 自分なんか社会に必要とされていない。自分は誰からも愛されない。自分には、神なんて関係ない。しかしそうではありません。 救いはあらゆる人々に向けられています。どんなに小さく、弱い者であったとしても、いや、そのような者だからこそ、神は語られます。 そしてこの救いを受け取った者は、だれであっても、また他のだれかに救いを伝えていく者となるのです。 3.  先ほど讃美した、新聖歌79番「天には栄え」は、19世紀にドイツで活躍した音楽家メンデルスゾーンの作曲によるものです。 彼はあの天才ベートーベンの次の世代にあたる人物でした。 ある音大生が、自分の音楽教授に、ベートーベンとメンデルスゾーン、どちらが偉大だったかと質問しました。 そのとき教授はこう答えました。どちらも偉大だった。しかしメンデルスゾーンがいなければ、ベートーベンはいなかった、と。 学生は聞き間違いかと思い、聞き返しました。 先生、メンデルスゾーンが次世代の人物だから、ベートーベンがいなければメンデルスゾーンはいなかった、ではありませんか。 しかし教授はこう答えました。メンデルスゾーンは、バッハやベートーベンの作品を積極的にオーケストラの曲目として取り上げ続けた。 彼がいなければ、バッハやベートーベンの音楽は、何百年経っても、富裕層や一部の教養人だけにしか知られなかっただろう。 しかしメンデルスゾーンが一般民衆にも彼らの音楽を広く知らしめたからこそ、バッハ、ベートーベン、この天才たちが人々に知られているのだ。  私がこのエピソードを用いてお話しした理由は、伝える者の働きがなければ、どんなに偉大なわざも広がっていかないということです。 メンデルスゾーンは天才たちの作品を伝え続けました。羊飼いたちは、ベツレヘムの人々に、天使たちが語ったことを知らせました。 私たちもまた、イエス・キリストの救いの恵みをすでに味わっている者として、周りの人々に福音を知らせていきましょう。  25日が終わると、あれだけ豪勢に飾られていたツリーやイルミネーションも片づけられ、人々はいそいそとお正月の飾り付けを始めます。 しかし来週も、再来週も、私たちにとってクリスマスは終わりません。 イエス・キリストが私たちに救いを与えるために、この地上に来られたというクリスマスのメッセージを、私たちは一年中語り続けていくのです。 これからも、このすばらしいプレゼント、いのちを与える福音をしっかり握りしめて、人々に伝えていきましょう。