恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2020.8.2主日礼拝説教「手遅れになる前に」(ルカ12:54-59)

 こんにちは、豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。 外出自粛やテレワークの中で経済的、精神的に疲れをおぼえておられる方々に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。  本日(8/8)のyahoo!ニュースで、「北海道→鹿児島3泊4日」乗り換え駆使した弾丸ツアー、今なぜ爆誕?というのがありました。 たまたまリンク先で読んでみたら、この記者さん(withnews 北林慎也氏)が書かれた、たいへん興味深い記事がありました。 キリスト看板、貼られる瞬間を見た 聖書配布協力会の伝道活動に密着(2019/11/19) 「死後さばきにあう」は廃版だった キリスト看板、制作の裏側に迫る(2019/11/20) 「キリスト看板」聖書配布協力会の今 コロナの中、看板設置に変化(2020/5/7) bibleoutreach.jpgbibleoutreach2.jpg そう、田舎の農具小屋から都心のビルディングまで。日本全国の外壁から時代を見つめる、例の黒看板のルポルタージュです。 決してイロモノ的な扱いではなく、好意的な視点で書かれています。非常に励まされました。 ぜひリンク先の記事からご覧ください。放送伝道同様、途絶えさせてはならない働きだと思います。週報はこちらです。 聖書箇所 『ルカの福音書』12章54-59節 1.  初対面の人と会話を進めるとき、自分は口下手で、何を話題にしたらよいかわからないということはないでしょうか。 昔から、そんなときはまず天気か季節の話をせよ、言われてきました。 なぜかというと、会話がはずむためには、お互いが共感できる話題が必要。 天気や季節は、何百キロも離れていないかぎり、みんなに共通していることなので、最初に切り出す話題として最適、というわけです。 逆に初対面の人とすべきではないのは、政治の話とプロ野球の話。それぞれのひいきがあるので、間違えると最初から険悪になってしまいます。 初対面の人と話をするのが苦手であるという人は、まず空をよく見上げて、天気の話題を充実させるところから始めるとよいかもしれません。  「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、にわか雨が来るぞと言い、南風が吹き出すと、暑い日になるぞと言う。」 イエス様が天気の話をされたのは、もちろん雑談を進めていくためではありません。 しかし群衆ひとり一人に共通している話題を持ち出すことで、人間が共通して抱えている、本当の問題に目を向けさせようとしました。 人々は太陽や雲や風の動きを見上げながら、今日は漁に出るべきか、明日は家で網を繕うべきか、と行動を選択していました。 天候に左右されるような不確かな生活のなかで、いつも不安をかかえ、もがきながら生きてきた人々の姿を、イエス様はご存じでした。 だからこそ、「偽善者たちよ」という、驚くほどのきびしい言葉を使いながら、彼らの目を開かせようとしたのです。  人はパンだけで生きるのではない。病からいやされても永遠に生きられるわけではない。なぜ目に見える、安易な助けだけを求めるのか。 これから天気がどう動くかを見分ける知識を持ちながら、どうして今、この時代に何が起ころうとしているのかを知ろうとしないのか。 群衆の生活を知っておられるからこそ、イエス様は悲しみと憤りを入り交じらせて、こう言われています。56節をご覧ください。 「偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか」 「にわか雨が来るぞ」。「暑い日になるぞ」。これは、これからの天気の動きによって生活が左右される、人々の小さな不安を表しています。 キリストは私たちにこう語りかけます。あなたがたは、そのような小さな不安に対してでさえ、これほど注意を払い、対策を講じるではないか。 しかしなぜ今にも下ろうとしている大きな不安に対しては、見ようとせず、考えようとせず、はじめから存在しないかのように振る舞うのか。 2.  では、イエス様が言われている、「今のこの時代」とは、何でしょうか。 それは、神のさばきを目の前にしながらも、神との和解を求めようとしない、時代であり、社会なのです。 それはイエス様の十字架と復活という二千年前の出来事を貫きながら、今日まで続いているし、これからも人々を縛り続けます。 アダムとエバの堕落以来、つねに神に逆らい、神との和解を求めようとしないのが、私たち生まれながらの人間の変わらない姿です。 かつて神はそれを忍耐されてきましたが、イエスが地上に来られたことは、その忍耐はもはや終わりを告げていることを語っています。 この世界は、いまや終わりを迎えようとしているのです。確かに終わり、終わりと言いながら、二千年が過ぎています。 しかしそれは、残された時間の中で、ひとりでも多くの者が悔い改めるために、神が最後の最後の忍耐をしてくださっているからです。 その、いわば、さばきの猶予がいつまでも続くという保証はどこにもありません。それを示しているのが、最後の部分のたとえ話です。 「あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。 そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。 あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。」  今まで「あなたがた」と語り続けてきたイエスの呼びかけが、「あなた」という一対一になっていることを見落とさないでください。 また、それと併せて、「なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか」という警告を聞き逃さないでください。 あなたの命を救ってくれるのは、イエス様です。しかし、あなた自身が、イエス様に一対一で向き合わなければなりません。 このたとえ話の中には、訴えられた人、告訴する人、役人、裁判官、執行人と多数の配役が登場しますが、実際の演者はふたりだけです。 その二人とは、神とあなたです。あなたを告訴するのは神、あなたをさばくのも神、最後の一レプタを支払うまであなたを牢に閉じ込めるのも神。 すべての人間は、やがて神のさばきの座に立たなければなりません。そのところに到着する前に、神と和解しなければならないのです。 そうでなければ、人は永遠に続く業火、決して終わることのない地獄、身体もたましいも苦しむ続ける滅びの中に投げ込まれてしまうのです。 この滅びから免れるためには、いま与えられた、そして限られた時間の中で、神と完全な和解をするしかありません。 その和解こそが、イエス・キリストを救い主として信じるということなのです。 私のすべての罪のさばきを、神のひとり子イエス・キリストがかわりに引き受けてくださった、と信じることなのです。 それを行わなければ、やがて私たちは決して支払いきることのできない罪の負債を永遠に抱えながら、苦しみ続けることになるのです。 3.  「神は愛なり」という聖書のことばはまことです。 しかし完全な愛であるとともに、完全に正義を貫かれるお方である神さまは、どんな小さな罪のほころびさえも見逃すことができません。 すべての人間は、例外なく罪人として生まれました。そしてひたすら罪を犯し続けて、生き、そして死んでいきます。 その罪を悔い改めて、神と和解しなければ、再臨の日には、その日から永遠のほろびを味わい続けるためだけによみがえるのです。 何と悲しく、あわれなことでしょうか。キリストを信じて罪を清算された人々は、永遠の人生を楽しむためによみがえります。 しかしイエスを信じずに死んでいった者たちは、永遠に地獄の業火の中で苦しみ続けるためだけによみがえるのです。  神は決してそんなことを望んでおられません。だからこそ、イエス・キリストは神の御姿でありながら人となり、十字架にかかってくださいました。 しかしそれは、自動的にすべての人類が救われたということを意味しません。 この福音のことばを自ら受け入れ、心の中にはっきりとイエス・キリストを救い主と信じ、罪と訣別する決心をした者だけが、救いにあずかります。 新型コロナウイルスのワクチンが誕生しても、そのワクチンを接種しなければ、その人が感染と死の恐怖の中にいることは何も変わりません。 イエス・キリストを信じましょう。 すべてが手遅れになる、神のさばきの日までに信じなければ、そのあとどれだけ泣き叫んだとしても、手遅れなのです。 人の理性では、気が違っていると受け取られる言葉であったとしても、私たちにはこれを語り続けることしか、救いを伝える手段はありません。 神さまは私たちをあわれんで、私たちの罪の身代わりとしてイエス・キリストを十字架につけてくださいました。そこに愛があるのです。 この方を信じる以外に、永遠のほろびを免れて、永遠の命を与えられる道はないのです。 すべての人はこの方を必要としています。クリスチャンを通して、このイエス・キリストが語られていかなければならないのです。 どうかひとり一人が、再臨の緊張感を保ちながら、今日、このイエス様を誰かにお伝えすることができるようにと祈りましょう。