こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。
牧師をある程度長くやっていると、同じ聖書箇所からメッセージを語るということが何度かございます。
他の教会であれば何も問題ありませんが、自分の教会だとドキドキです。
信徒は遠慮して言いませんが、「そこ、前も語ったよね」と奥様から指摘されたことのある牧師先生方もさぞ多いことでしょう。
内容が同じだと「手抜き」と言われるし、かといって違ったりすると「先生、前はこう言ってたのに・・・・」と不信感を生みかねません。
今回の説教は、約二年前にも同じ聖書箇所から(『成長』のせいです)語ったことがありました。
しかし我ながらなんと大胆な。
内容を翻して「今はそうは思っていません」と説教の中で言い切ってしまいました。
これを潔いと呼ぶか、変節漢と呼ぶかは人それぞれ。
しかし説教とは常に成長し続けるもの。
狙ったわけではありませんが、新旧どちらのメッセージでも、なぜか戦国大名・北条氏康にまつわるエピソードを紹介しています。
二年前のメッセージと、今回のメッセージ。
どこらへんが違うのか、ぜひ自らの目で、耳で、比べて、吟味してください。 
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30年以上の歴史を持つ歴史ゲーム『信長の野望』での北条氏康の顔グラフィックの変遷。 最近のものは「顔に大きな刀傷があった」という伝承が反映されています。 説教というものも、このように常に新しいものを取り入れて変わり続けていくものだと思っています。
聖書箇所 『士師記』7章1-25節
ここをクリックすると聖書本文が出てきます
1 それで、エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。 2 そのとき、【主】はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。 3 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。 4 すると、【主】はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをためそう。わたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行かなければならない』と言うなら、その者は、あなたといっしょに行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。」 5 そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、【主】はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」 6 そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。 7 そこで【主】はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」 8 そこで彼らは民の糧食と角笛を手に取った。こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引き止めた。ミデヤン人の陣営は、彼から見て下の谷にあった。 9 その夜、【主】はギデオンに仰せられた。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。 10 しかし、もし下って行くことを恐れるなら、あなたに仕える若い者プラといっしょに陣営に下って行き、 11 彼らが何と言っているかを聞け。そのあとで、あなたは、勇気を出して、陣営に攻め下らなければならない。」そこで、ギデオンと若い者プラとは、陣営の中の編隊の端に下って行った。 12 そこには、ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな、いなごのように大ぜい、谷に伏していた。そのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった。 13 ギデオンがそこに行ってみると、ひとりの者が仲間に夢の話をしていた。ひとりが言うには、「私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまで入り、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった。」 14 すると、その仲間は答えて言った。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全部を渡されたのだ。」 15 ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。【主】はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。」 16 そして、彼は三百人を三隊に分け、全員の手に角笛とからつぼとを持たせ、そのつぼの中にたいまつを入れさせた。 17 それから、彼らに言った。「私を見て、あなたがたも同じようにしなければならない。見よ。私が陣営の端に着いたら、私がするように、あなたがたもそうしなければならない。 18 私と、私といっしょにいる者がみな、角笛を吹いたなら、あなたがたもまた、全陣営の回りで角笛を吹き鳴らし、『【主】のためだ。ギデオンのためだ』と言わなければならない。」 19 ギデオンと、彼といっしょにいた百人の者が、真夜中の夜番の始まる時、陣営の端に着いた。ちょうどその時、番兵の交替をしたばかりであった。それで、彼らは角笛を吹き鳴らし、その手に持っていたつぼを打ちこわした。 20 三隊の者が角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き、それから左手にたいまつを堅く握り、右手に吹き鳴らす角笛を堅く握って、「【主】の剣、ギデオンの剣だ」と叫び、 21 それぞれ陣営の周囲の持ち場に着いたので、陣営の者はみな走り出し、大声をあげて逃げた。 22 三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、【主】は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。 23 イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。 24 ついで、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送って言った。「降りて来て、ミデヤン人を攻めなさい。ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りなさい。」そこでエフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。 25 また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃した。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行った。
序.
神学生として千葉で学んでいた頃、人に頼まれて、東京のある教会に届け物をすることがありました。 その教会は、あえて名前を伏せますが、大変に有名な教会です。 日本の福音派の指導者として活躍された先生方によって牧会されて、その教会で訓練を受けられる神学生は幸せ、みたいな感じでした。 しかし教会は有名でも、そこへの行き方がわかりません。そこで友人である、その幸せ者の奉仕神学生に行き方を尋ねました。 そしたら、「渋谷駅行きのバスに乗って、ナントカとかいうバス停で降りて、環七通りをそのまま進んでいけばそのうち着くよ」 なんとも大雑把な説明と、それでも簡単な地図を書いてくれました。 そこで言われたとおり、ナントカというバス停で降りて、てくてく歩いて行くと、右手にりゅーとぴあみたいに大きい、荘厳な教会が見えてきました。 おお、あれが○○教会か。さすが日本で一番有名な教会だけはある。ところがどうも地図とその場所は違っています。 もう少し歩いてたら、狭い路地があって、その前に案内看板がありました。それに従って歩いてくと、やがて本物の教会に着きました。 しかし確かに母教会より大きい教会ではあるのですが、先ほどりゅーとぴあみたいな教会を見ているので、どうしても見劣りがします。 チャイムを押して、伝道師に届け物をしたあと、さきほどの建物について聞いてみました。立正佼成会の東京大聖堂だそうです。 「いやあ、よく間違われるんですよ」と伝道師は言っていましたが、建物の大きさからいえば、比べものにならないなあと思いました。
1.
もし、宗教の建物の大きさ、収容人数などが、その教えの正しさを図るモノサシだとしたら、日本の教会はまったくランク外でしょう。 あの立正佼成会の大聖堂と、そのキリスト教会がもし並んで立っていたら、人々はまず大聖堂をもつあちら側に軍配をあげるに違いありません。 じつは私たちの中にも、そのような視点というのがあります。 正しい教えならば、それだけ人が集まってくるはずではないか。人が少ないのは、何かが足りないからではないのか、と。 しかし聖書は、神さまが戦いのために必要としているのは数の多さではなく、勝利のために必要なのは武器の強さでもないと教えています。
いま、イスラエルとミデヤン人の戦いが始まろうとしていました。 聖書の記録によれば、ミデヤン軍の数は少なくとも13万人。それに対して、ギデオンの下に集まった兵士たちは全部かき集めても3万人あまり。 すでに4倍の開きがあります。しかし神は、それでさえ「多すぎる」と言われるのです。そして二回のテストを通して、300人にしぼりました。
私たち人間は、目に見えるものに頼りやすいものです。 あるものが信頼できるかどうかを「これだけの人に支持されているから」という基準で判断することがあります。 いまはネットで商品を買う人が増えていますが、デザインや価格よりも、どれだけレビュー、よい感想を集めているのかを参考にするそうです。 しかし人が見るように、神は見ません。神の戦いに必要なのは数ではありません。武器の質でもありません。ただ信仰です。 人が集まっているからそれは正しい、ということではありません。聖書、神のことばを通して、私たちは何を信じ、何を選び取るかを学ぶのです。 人は間違えます。大勢の人が集まると、思考が止まり、吟味する暇もないままに突き進んでしまうことさえも起こるのです。 しかしどんなに数が少なくとも、その中心に神のことばがあるならば、私たちは決して恐れることはありません。
2.
三万二千人の兵士たちを「多すぎる」と言われた神は、それを最終的に300人まで減らしていきました。 最初のテストは、それぞれの心に聞くテストでした。だれでも恐れおののく者は帰り、ギルアデ山から離れよ、と。 すると全体の7割にあたる2万2千人が離れ、1万人のみが残りました。 それは、私たちにも理解できる選び方でしょう。しかし問題は、その先です。 自分は、脱落していった七割の者たちとは違う。そのように自負している一万人を水場に連れて行き、それぞれの飲み方を見たのです。 犬のように直接水面から飲んだ者、また膝をついて飲んだ者は退けられ、口に手を当てて水をなめた300人だけが選ばれました。
なぜ、口に手をあてて水をなめた者たちだけが選ばれたのでしょうか。 私は以前、これはいつ攻撃されるかわからない中で、緊張感を失わずに水を飲んだ者たちだからこそ、選ばれたのだ、と考えていました。 しかし、いまはそれとはまったく違う受け止め方をしています。実際のところ、「だからこそ」なんていう選ばれ方ではないのではないか、と。 神は、二つの選り分けテストの前に、ギデオンにこう語っています。 2節後半、「イスラエルが自分の手で自分を救ったと言って、わたしに向かって誇るといけないから」。 神の働きは、人間の誇りが入り込む余地のない、100%、神の主権によって導かれる、神のわざです。 私はこの能力があるから選ばれた、この熱心さによって選ばれた、あるいは、いつでも気を緩めない、生活態度で選ばれた。 そんなふうには理由づけなど一切できない、人間にはまるで理解できない、ただ神のみこころによって選ばれる。 それがこの300人の戦士たちの選びであり、そして私たち一人ひとりが救いに選ばれた、ということではないでしょうか。
信仰とは、まさにキリストにあって、ただこのキリストだけにあって、私は救われたのだ、と神にすがりつくことです。 そして信仰の戦いというのは、傍目から見たら勝ち目などどこにもない。まるで蟷螂の斧のような悪あがき、そんなひどい負け戦。 しかし人間的にはそうであっても、神が始めた戦いに、神が私を選んでくださったのだから、最後まで神が責任を取ってくださいます。 神の戦いに選ばれたのは、私が優秀だから、信仰的なことをしたから、ではありません。 神の戦いに勝利できるのは、人がたくさん集まっているから、これだけの人々がいて力強いなあ、ということでもない。 ただ、神の戦い。神の偉大さから言えば、人間の力、私の力などとるにたりないもの。しかし私を神は、ご自分の兵士として選んでくださった。 だから私は神の後ろについていき、戦うのだ。そういう信仰をもって歩んでいきましょう。
3.
9節で、神はこう言われました。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから」。 戦いはまだ始まっていないのに、神はすでにミデヤン人の陣営をあなたの手に渡した、と言われます。 今から約500年前、いわゆる戦国時代に、今の埼玉県にあった川越城を巡る、川越夜戦(かわごえよいくさ)という戦いがありました。 川越城に立て籠もった北条軍3千人に対して、取り囲む敵の数は、関東中から集められた兵、なんと8万人。 北条氏康が5千の兵を引き連れて救援に向かい、それでもわずか8千の兵で、10倍の敵を打ち破るという奇跡的勝利を収めました。 そのとき、氏康の兵たちが「勝った、勝った」と叫びながら、城を取り囲む兵士たちに奇襲をしかけると、 城の内側からも呼応して「勝った、勝った」と叫びながら城門を開け放ち、不意をつかれた敵に襲いかかったそうです。 それは、半ばやけくそじみた叫びだったそうですが、ギデオンに対する神の約束のことばは違います。 勝った、勝った。渡した、渡した。すでに神の戦いは、始まる前に終わっているのです。 私たちが頑張って勝利をつかむ、ということではなく、神のシナリオには私たちが壇上に登る前に、すでに「圧倒的勝利」と書かれています。 しかも、その勝利を信じることができない人の弱ささえも神は知っておられます。 神はギデオンに、「しかしもし下っていくことを恐れるなら、あの陣営に下って行き、彼らが何を言っているのかを聞きなさい」とまで言いました。 どこまでも私たちの弱さを知っておられるお方が、私たちの味方であるならば、なぜ恐れる必要があるでしょうか。 この方に信頼する者は、決して裏切られることがないのです。
結.
神はクリスチャンだけの神ではなく、この世界のすべての人を支配しておられるお方です。 ミデヤン人はイスラエルの敵でしたが、すでに彼らの夢の中に神が働き、恐れが敵の陣営を支配していることをギデオンは悟りました。 国民の1%に満たない、私たちクリスチャンたちは、自分たちはしょせん少数派だ、とため息をつく必要はありません。 この世界の創造者であり支配者である、神、キリストが99%の人々の心にも働いておられます。 しかし神は私たちが働かれる余地も残してくださいました。 あなたが人々にどんな証しでも良いから、まず口を開くならば、あとは聖霊なる神が人々の心をとらえてくださいます。 だから、ただ神のみわざだけを信じましょう。 ギデオンは敵のただ中で神に礼拝をささげました。何という余裕!何という感謝! そしてイスラエルの陣営に戻り、こう命じました。「立て。主はミデヤン人の陣営をあなたがたの手にくださった」と。 ギデオンはもう奇跡を求めません。もう主の約束を疑いません。神がすでにミデヤン人を渡してくださった、と。 角笛と空のつぼ、そしてたいまつ。こんなみすぼらしいものしかその手になくても、彼らは恐れません。神の戦いに剣はいらないのです。 代わりに角笛を吹き鳴らし、空のつぼをうちこわし、たいまつをかかげながら、こう叫びました。「主の剣、ギデオンの剣だ」。 私たちにとって必要なものはお金でしょうか、力でしょうか、数でしょうか。そのどれでもありません。ただ信仰のみです。 口にすべきは「もしも」でも「いつか」でもありません。私たちが神のご計画を信じると告白するとき、すでに決着はついているのです。 いま、悩みや試練の中にある兄弟姉妹たちよ、すでに圧倒的勝利が約束されていることを信じようではありませんか。