恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2017.11.12「目をさまして語り続けよう」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。 ブログ移転しました。経緯の詳細は旧ブログのほうに載せておりますが、今後ともご愛顧ください。 移転を機に、ブログ名称も「村の小さな教会」から「豊栄の風~T-Breeze」に変えました。 当教会の有志で構成している、合唱グループの名前からとっています。決して、SEA BREEZEのパクリではありません。 旧ブログを立ち上げてから約6年、「村の小さな教会」で検索すると上位にヒットするようになったのですが、また仕切り直しです。 新ブログは、スマホで見ても従来のうっとうしい広告表示がまったく出て来ません。快適。ぜひスマホ版もお試しください。 スマホ版では私の顔がサムネイルで連続して出てくるので、これもある意味うっとうしいかもしれませんが。週報はこちらです。 聖書箇所 『ヨハネの黙示録』3章1-6節  1.  今日の聖書箇所はヨハネの黙示録、イエス様がサルデスの町にあった教会に対して語られたみことばです。 しかしその言葉は、叱責から始まります。しかもその激しさは尋常ではありません。「あなたは生きているとされているが、じつは死んでいる」と。 これは、いのちを与えられたキリスト者にとって、なんと悲しむべき、イエス様からの言葉であるでしょうか。  この黙示録が書かれたのは、ローマ帝国の時代ですが、サルデスは、かつてリディア王国という国の首都があったところでした。 リディアはペルシャ帝国に滅ぼされ、サルデスはそのペルシャ帝国の重要拠点のひとつとなるのですが、 そのペルシャもやがてギリシャのアレキサンダー大王に滅ぼされ、そしてこの手紙が書かれた時代は、ローマ帝国の重要拠点となっていました。 今日の週報の表紙には、このサルデスの遺跡の写真を掲載しました。 これは公衆浴場とシナゴーグの複合施設です。これだけでも、サルデスの町の豊かさが伝わってくるのではないでしょうか。 SardisBathcomplex.jpgLydia_ancient_times-ja.png 2.  国は変わっても、このサルデスの町は滅びることはない。サルデスの町の人々は、そんな誇りに支配されていました。 またサルデスは軍事的にも、経済的にも非常に豊かな町でした。豊かだからこそ、町の人々は今の生き方に満足していました。 しかしそんなサルデスの町にも教会がありました。イエス様がこの町にも教会を起こしてくださったのは、特別の使命があったからです。 すなわち、サルデスの教会は、 確かに豊かかもしれないが古い生き方にしがみついて自分を変えようとしない、サルデスの町の人々を、 イエス・キリストの十字架の福音を伝えることによって変えていくという使命を与えられていました。 しかしイエス様はサルデスの町の人々にではなく、教会に対して、こう言われたのです。 「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは生きているとされているが、じつは死んでいる」と。  経済的に豊かなサルデスの町には、経済的に豊かな人々が教会に集まりました。 過去の栄光に誇りを持つサルデスの町には、やはりプライドの高い人々が教会に集まりました。 教会は、その地域の縮図ですから、それは不思議なことではありません。 しかし教会で、私たちは考え方や価値観の変革を体験するのです。 救いとは、今までの価値観、人生観に信仰的な何かを上乗せしていくことではありません。ひっくり返るのです。 カネ、モノ、ヒト、自分自身に依存、あるいは影響されていた人生が、ただイエス・キリストへと裏返るのです。 価値観、考え方、人生観が変わらないまま、古いものがそのまま教会の中に持ち込まれるなら、そこには人の革新はありません。 私たちの教会の名前、「豊栄」はただの地名ですか?そうではない。ここには、本当の豊栄の意味が込められなければならない。 家内安全、商売繁盛、そういう、宗教にこの世の人々が求めるものを手に入れることが救いではない、 それらを手に入れたところで、豊かでもないし、栄えているのでもない。 本当の意味で、サルデスならぬ「豊栄」というのはどういうことなのかを、私たちは豊栄教会のあらゆる営みを通して気づかされます。 3.  サルデスの教会員たちは、サルデスの町の中に完全に埋没していました。 はっきり言えば、町の人々の眠りこけた生活の中に自らも流されて、教会もまた眠りこけていました。 サルデスは、クリスチャンが血を流すまでに信仰のために抵抗したことがない教会でした。 それは、一見すると、平和で祝福されているように見えます。しかし信仰においては、平安とは何も起こらないことではありません。 どんな波風が起こる人生であったとしても、神我らと共にいます、という確信のゆえに、たましいに平安が与えられています。 何も起こらない人生があるとしたら、何も持っていない人生と同じです。平和ではあっても、魅力もありません。 この世でうまくやり過ごしていく方法を教えてくれても、命をかけて、犠牲を払って、それでも神に従っていく喜びは与えてくれません。 少なくとも私たちは、そんな教会を建て上げるようにとイエス様から命じられていません。 変化を嫌う人々に、福音によって圧倒的に変わる人生を伝えます。眠りこけている人々に、起きよ、と命じます。 自分が眠りこけていたら、何も伝えることもできません。私たち自身が、目をさまして、語り続けるように求められています。  ただ神に感謝しましょう。イエス様は、手厳しく叱りつけた後、すばらしい褒め言葉をサルデスの教会に与えてくださいました。 眠りこけているサルデスの教会の中にも、「衣を汚さなかった者」、「白い衣を着て」主と共に歩む者が確かにいる、と。 そして「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる」とも。 主はサルデスを決して見捨てていません。 そしてこの豊栄はじめ、それぞれの町にあってその町の名がつけられている教会を、励ましてくださっています。 イエス様はこう約束されています。 「わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す」。 私たちはこの豊栄キリスト教会を、白い、汚れなき衣を着ている者たちの群として、いつまでも歩んでいきたいと願います。