恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2017.10.15「人生は止まらない」

 こんにちは。豊栄キリスト教会牧師の近 伸之です。 この主日は、年に一回のお楽しみ、教会バザーでした。説教時間も当社比30%ほど切り詰めなければならないので緊張モノです。 正午からのスタートですが、30分位前から小さな行列ができるほどに好評を博しております(ホラ話の多い当ブログですが、これはホント) 開場までにお客様が入ってこないよう牧師夫妻が門番をするというよくわからない奉仕があてがわれ、とにかく頑張りました。 バザー来会者が礼拝に繋がることはめったにないのですが、それでも教会の存在を覚えて頂く、大事な機会と考えて、続けております。 週報はこちらです。 聖書箇所 『ガラテヤ人への手紙』2章20節  1.  今日はバザー準備のために、くれぐれも説教の時間は短くしてくださいという厳命を受けております。 最近私が経験したことを通して、神様が人間に与えてくださる、いのちのご計画をともに味わいたいと願います。 教会員の方には、私が15歳のときに骨の病気で左足を切断したという話は何度もしているのでまたかよと言われそうですが、 その後退院してからも、半年に一回、大学病院で検査するという生活を30年以上続けています。  30年前に私の手術の助手をしておられたA先生が、ずっと私を診察してくださっています。 15歳当時、私は無口で無愛想なこの先生が苦手でした。今も苦手です。 いつもこっちに背を向けて、机の上のカルテを見ながら、こっちを向いて話してくれない。30年付き合ってても、まったく親しくなれません。 でも先日、いつものように診察を受けていたとき、その先生の白髪交じりの横顔を見ていて思いました。 私も30年のあいだ、先生にひと言も心からお礼を言ったことがなかったなあ。でもいきなり、「ありがとうございました」というのも何だかなあ。 すると、何気なくこんな言葉が口に出ていました。「先生、骨肉腫という病気は、30年前は危険なものだったんですよね」。 私のかつての病名が骨肉腫であることは知っていて、当時は危険な病気だったというのを本で読んだことがあったのです。 すると先生は、相変わらずこっちを見ないまま、「今も危険ですよ」と答えました。その態度に腹が立ちました。 などということはなく、その危険な病気にこの先生は30年付き合ってくれたんだなあという思いが湧き出てきました。 次の瞬間、「先生、ありがとうございました」と自然にことばが出てきました。 そのときに先生はこちらを不思議そうな顔で振り返りました。40半ばの男が言うのもなんですが、たいへんに照れくさかったです。 2.  左足を切断したとき、私は自分の人生に絶望して泣き叫び、何も信じられない人間になりました。 しかしそれから三年後、地元の教会に通うようになり、イエス・キリストを救い主として信じて、クリスチャンになりました。 それからさらに十年後、残りの人生を神のためにささげたいという思いが与えられて、当時の職場をやめて、神学校へ進みました。 そして卒業後、この豊栄の教会で約15年間、牧師として仕えてきました。夫婦生活も14年間、何とか守られて歩んできました。 楽しいこともあったし、苦しいこともありました。人に傷つけられたこともあったし、逆に傷つけたこともありました。  なんでこんなことになってしまったのか、何が悪かったのか、と神様に食ってかかったり、牧師をやめたいと思ったこともありました。 しかし最近はこう思っています。死ぬまで生きられる、それだけで感謝、と。 30年前、骨肉腫の5年生存率はわずか30%でした。長く生きられない7割の中に入っていても私は不思議ではありませんでした。 しかし神様は、私をそれから30年も生かしてくださいました。まるで今日死んでしまうような口ぶりですが、もちろんそういうことではありません。 しかし人間、いつ死んでしまうかわからないことは確かです。突然の事故や天災に巻き込まれることもあります。 それでも、私たちがイエス・キリストを信じるならば、人生の見方そのものが変わってきます。 人生はこの地上で終わりではない、むしろ本当の人生は、この地上での生活が終わったときに始まるのだ、と。 3.  つい先日、新潟空港の展望台から、ジャンボジェット旅客機が離陸していく姿を見下ろして感じたことがあります。 フライト時間の直前まで、作業員の方々が荷物をジェット機の下の部分に積んでいました。その後乗客用タラップが離れました。 そしてあの大きな飛行機には不釣り合いな、小さな車輪でのろのろと何百メートルも滑走路の端まで進んでいきます。 しかしそこからUターンした後の加速がすさまじい。轟音を上げて、あっという間に大空に旅立っていきました。 キリストを信じなければ、大空があることに気づくこともないまま、地上の滑走路をのろのろと這い回っていたかもしれません。 しかし神は私に今日のいのちを与えてくださった。どんなに苦しいことがあったとしても、すべては神様が知っておられる。 そして信じた者に約束されている、永遠のいのちの人生のために、この地上で経験したすべてのことを一つ残らず生かしてくださる。  バザーでこうして出品されている品々は、まるで私たちの姿そのもののようにも見えます。おそろしく安い値段をつけられています。 私たちは平気で10円とか20円とか値札をつけますが、もし自分がそんな値段をつけられたらたまったものじゃない。 でも今も多くの人々が、自分も、自分の人生も10円の価値もない、とあきらめてしまっているのです。 かつての私も含めて、そんな人々が神さまの手にとってもらい、神さまの働きのために用いられるならば、そこで価値を取り戻します。 みなさんがイエス・キリストを信じ、この方に自分の人生を明け渡すときに、すべての罪がゆるされ、本当に幸いな人生が始まるのです。 聖書が言うように、もはや私が生きているのではなく、キリストが私の中に生きている、と確信することのできる、豊かな人生が始まります。 まだイエス様を信じておられない方が、今日をきっかけにして救いを受け入れることができるように、祈ります。