恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2014.6.8「新しく生まれなければ」

週報はこちらです。

聖書箇所 ヨハネ3:1-8、16

 1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。

2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

 16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

20140608

1.

 「きみは愛されるため生まれた」。

この歌は、もともと韓国のオンヌリ教会の牧師が、神学生時代に作詞したものだそうです。

「きみは愛されるため生まれた。きみの生涯は愛で満ちている」。

昨年、日本の自殺者は約27000人を数えました。また人工中絶や虐待死などの悲しい出来事も多く起こっています。

そのような社会に向かって、「きみは愛されるために生まれた」という言葉を伝えていくことには確かに大きな意味があるでしょう。

しかし、この歌が誕生日のお祝いとしてのみ歌われるのはもったいない、と私は思います。

ここで歌われている「生まれた」という言葉は、この地上に生まれたことだけを指しているのではない、と確信しているからです。

 聖書は、人間が生まれてくることそのものがすばらしい、という単純な人間賛歌の書ではありません。

聖書の中には、人はみな罪人として生まれてくる、という言葉が幾度となく繰り返されます。

最も気高く、最もみじめなのが人間です。玉座から転落した王子が、いかにして回復されるかが聖書のテーマです。

たとえどれほど喜びに満ちた誕生の瞬間であっても、キリストを拒み続ける人生には、何の意味もないのです。

「きみは愛されるために生まれた」。この歌詞が伝えるものは、イエス様が語られた「新しく生まれる」という言葉です。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」。

「神の国を見ることはできない」は、「神の国に入ることができない」とも言われています。

そして「神の国に入ることができなければ、その人の行き着く先は永遠の死である」という聖書の教えは、決してオブラートでくるまれてはなりません。

「きみは愛されるために生まれた」。このすばらしい歌が、あなたはこのままの生き方でよいというむなしい慰めに受け取られてはならないのです。

神はありのままの私たちを愛しておられます。

しかし生まれつきのままでは、神が用意しておられる本当の祝福を受け取ることはできません。

水と御霊によって新しく生まれる、このことを通して、神のすばらしい計画が始まるのだ。

古い自分が死に、新しい自分が生まれるのだ、と伝えていきたいのです。

2.

 今日は、キリスト教の暦でペンテコステ、聖霊降臨日と言われる日です。

二千年前のペンテコステの日、聖霊が炎のように使徒たちの上にくだり、彼らは力強く、福音を語り始めました。

当時彼らがいたエルサレムの町はお祭りのまっただ中で、外国語を話していたユダヤ人たちがたくさん集まっていました。

聖霊に満たされた使徒たちは、それぞれの国の言葉で福音を語りました。

そしてそれを聞いて信じた人たちがまた外国へ戻り、それぞれの地に教会が生まれていきました。

ですからペンテコステは「教会が生まれた日」と呼ばれることもあります。

でも忘れないでください。教会はゼロから生まれたのではないのです。

ペンテコステの前に、すでに120人ほどの弟子たちが集まっていたのです。

ペンテコステは、教会がただ生まれた日ではないのです。教会が新しく生まれ変わった日です。

それまでは聖霊を受けておらず、人の集まりにすぎなかった120人の団体が、神の教会として新しく生まれたのです。

「きみは愛されるために生まれた」は「新しく生まれる」ことを意味しているならば、

教会が生まれたペンテコステも、聖霊によって「新しく生まれる」ことを意味しています。

 だから次のことをよく覚えてください。

神に祝福された歩みは、すでに生まれているものが、水と御霊によって「新しく生まれる」ことから始まるのです。

あなたの上に起こることも同じです。この中には、文字通り老若男女が集まっています。

2歳児には2年間の人生経験を持っており、70歳を過ぎた方には70年以上の人生経験があります。

しかし2歳児であろうが高齢者であろうが、御霊によって生まれるまでは、まだ本当の意味では生まれていないのです。

それはウォーミングアップであり、スタートラインにも立っていない人生です。

しかしあなたが御霊によって新しく生まれるとき、本当の人生の出発が始まります。

それを受け取るならば、もはや死におびえることはありません。

なぜなら、神に祝福された本当の人生が始まっているからです。

3.

 最後に、聖書の中の聖書と呼ばれる、16節の言葉を心に刻みつけましょう。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。

ある人は、親に望まれずに生まれてきたゆえに、自分を愛することができません。

またある人は、親の期待に添うことができないと自分を責め続けてきた結果、何をしても達成感が得られない人生を歩んできました。

しかし聖書は言います。「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく」と。

たとえどのような人生でも、たとえ受け入れがたい人生ををもがいてきたとしても、あなたは今、新しく生まれることができます。

あなたの人生はどんな人生でしょうか。それぞれが異なる人生を歩んできたことでしょう。

しかしはっきりしていることは、イエス・キリストを救い主として信じるとき、すべてが感謝と喜びに変わるのです。

古い人生が新しい人生として生まれ変わります。

神は、あなたが罪を悔い改めてわたしを信じるならば「ひとりとして滅びることがない」と約束してくださっているのです。

 信仰とは、知識を積み重ねたり、頭で理解することではありません。

イエス様と信仰問答を行ったニコデモは、ユダヤ教の教師でした。

しかし彼は「新しく生まれる」ということが、この夜は最後までわからなかったのです。

あなたがもし、自分は聖書はほとんど読んでいないし、信仰とかもよくわからない、としても、それでもかまいません。

しかしイエス・キリストが私の罪のさばきの身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださった。

そしてこの方を信じるならば、罪がゆるされ、永遠の命が与えられる、という約束を心に味わってみてください。

この言葉があなたの心に何かを与えようとしていることを感じますか。

それは御霊があなたを新しく生まれ変わらせようとしておられる、しるしです。

あなたがイエスを信じるとき、あなたは御霊によって新しく生まれ変わります。

今までの生涯が苦しみに満ちたものであっても、すべてが感謝と喜びへ変わります。

あなたが信じたとき、本当の人生が始まります。

どうか、神の恵みを受け入れてください。