恵みは坩堝の中に

日本同盟基督教団・豊栄キリスト教会公式ブログ

2013.6.16「ナザレ人イエスの御名により」

<当日の週報はこちら> 聖書箇所 使徒の働き4章1-12節
 1 彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、2 この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、3 彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。4 しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。5 翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。6 大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。7 彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。9 私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、10 皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった』というのはこの方のことです。12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」
HASEKURA.jpg 20130616.MTS  支倉常長というキリシタンをご存じでしょうか。歴史の授業では「慶長の遣欧使節団」という言葉といっしょに暗記させられる名前です。今からちょうど400年前の1613年のこと、彼は伊達政宗の命を受けて太平洋を横断してメキシコへ、さらにメキシコから今度は大西洋を横断してスペインへと向かいました。目的は徳川幕府および伊達藩がメキシコおよびスペインと貿易を結ぶこと。ここまで聞くと、人は支倉常長を不屈の志に溢れた国際人として想像するでしょう。事実そのとおりであるのですが、じつは彼の人生には、私たち現代のクリスチャンにもあてはまるひとつの苦悩が溢れていました。それは、信仰者とのしての自分と、組織の一員としての自分、その狭間で翻弄された人生であったということです。  もう少し歴史を紐解いてみたいと思います。徳川家康はキリスト教を弾圧する一方で、南蛮貿易は進めていきたいと考えていました。そこで家康は、当時南蛮人と呼ばれていた商人の協力のもと、ヨーロッパにまで行ける船を建造し、出航させます。ところがその船は日本を発ってすぐに難破してしまいました。そこで文字通り助け船を出したのが伊達政宗です。政宗はサン・ファン・バウティスタ号という南蛮船を建造し、そしてキリシタンであった支倉常長を通商大使として再度派遣しました。常長は苦労してスペインにまでたどり着き、国王に謁見しますが、そこで国王から言われたのはこういう言葉でした。ショーグンは宣教師やキリスト信者をこれだけ殺害していながら、貿易だけは結びたいというのか、何とおこがましいことか、と。常長もまたキリシタンとして同じ思いを持っていたかもしれません。しかし彼は、伊達藩の使節として、そこであきらめるわけにはいかない。何年もヨーロッパに滞在し、粘り強く交渉を続けました。しかし努力は実らず、彼は失意のうちに日本へ戻ります。しかも伊達政宗は、支倉の労をねぎらうどころか、彼が信仰を捨てなければ、報告のために城に登ることさえ禁ずと命じました。  常長が信仰を捨てたかどうかは記録が定かではありませんが、帰国して二年後に病死したことがわかっています。そしてその後を継いだ息子、支倉常頼は家臣がキリシタンであったことの責任を問われて処刑されていくのです。支倉常長の人生は、私たち現代に生きるクリスチャンと関係ないものとして見ることはできません。人生の多くの場面において、私たちは組織の矛盾の中で自分の信仰を試されていきます。「長い物には巻かれよ」「出る杭は打たれる」。そんな言葉が何百年もまかり通るこの社会で、クリスチャンは悩み、傷つきます。学校、家庭、職場、地域、ありとあらゆる生活の場でそれを経験するのです。しかしまずこのことを忘れないでください。私たちの持っている福音は、世の矛盾をえぐり出すのです。人々が触れてほしくない矛盾、隠しておきたい罪、悪と知っていてもそれをなあなあにしてしまう慣例、そのようなものを福音はえぐり出します。私たちにはみことばを通してそれに気づき、罪と認める特権が与えられているのです。  今日の聖書箇所にもまた、ある組織の矛盾が描かれています。ペテロたちが神殿で説教していたとき、祭司、宮の守衛長、サドカイ人といった人々は困り果て、彼らを牢に捕らえました。なぜ彼らは困り果てたのでしょうか。それは彼らが「イエスを例にあげて死者の復活を宣べ伝えている」からでした。当時の祭司階級であるサドカイ人たちは魂が不滅であると信じず、死者がよみがえることを否定していたからです。ところが翌日、緊急で開かれた最高議会では、使徒たちは死者の復活を語っていたからではなく、「誰の権威によってこんなことをしたのか」という理由で告発されるのです。じつは最高議会には、サドカイ人だけでなく「民の指導者、長老、学者たち」と言われるパリサイ人も多く加わっていました。彼らパリサイ人はサドカイ人と逆に、死者の復活を信じていました。死者の復活を語ったという理由で訴えれば、最高議会は分裂します。だから使徒たちは「何の権威によってこのようなことをしたのか」という告発へとすり替えられたのです。  組織の矛盾が明らかなとき、私たちはどのように言葉を用意しますか。決して問題を波立たせないように、傷つけないように、前もって、時間をかけて、なるべくソフトな対応を心がけて。しかしペテロは違ったのです。いや、ペテロというよりは神は違ったのです。8節にこうあります。「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った」と。聖霊は私たちの常識や思いを越えて、人々の罪を暴き出します。聖霊に満たされてペテロが語った言葉は、サドカイ人が触れてほしくなかった死者の復活は言うまでもなく、復活を信じているのにイエスの復活を認めようとしないパリサイ人たちの矛盾も突き刺しました。ペテロは大胆に語ります。10節、「この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」。  世の人々は、クリスチャンが黙っていれば喜びます。クリスチャンの語る言葉は人々に罪を意識させるからです。それは、ひとり一人のクリスチャンの中には確かに聖霊が生きておられ、その聖霊がことばを越えて語られるのです。たとえ語る言葉がみことばそのものでなくても、クリスチャンの人生観、価値観、あらゆるものがこの世とは反対側にあります。だから、黙っていれば私たちは世の友でいられるでしょう。でもそのような友は真の友ではありません。真の友はいのちをかけて、滅び行く人に忠告します。人畜無害なキリスト者は、世を腐敗から防ぐことはできません。決して大きなことを語る必要はありません。「ナザレ人イエス・キリストの御名」。最後にこの言葉の意味に触れて説教を終わります。  数年前のことですが、豊栄市が新潟市と合併して、教会の住所から「豊栄」の文字が消えたとき、教会の名前も変えなきゃいけないかと冗談で話題にしたことがありました。同盟の教会の中には、「中央教会」とつくものが多くあるので、他の教会が名乗らないうちに「新潟中央教会」というのはどうかというのが出ました。村の小さな教会のくせにおこがましい。より教会の現状に照らして「嘉山キリスト教会」というのも出ました。でもやっぱり豊栄に勝る名前なしということで、これからも豊栄キリスト教会で行きましょう、となったわけです。それにしても、もし「嘉山キリスト教会」という名前になってたら、いったいどれだけ守備範囲が狭いんだと批判されていたでしょう。しかしまさに当時のイスラエルで、「ナザレ」という言葉はこういうニュアンスのものだったのです。福音書に書いてあることですが、ナタナエルという人が弟子に招かれたとき、彼はこう言うんですね。「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハ1:46)。こういう偏見に満ちたことわざが今まさに生きているイスラエルに向けて、ペテロは「ナザレ人」という言葉を恥ずかしげもなく、繰り返して語っているのです。使徒の働きの中で、ペテロやパウロが「世界の救い主イエス・キリスト」と呼んでいるところはひとつもありません。代わりに、何度も繰り返して「ナザレ人イエス・キリスト」と呼んでいるのです。なぜでしょうか。それは12節にある信仰の確信のゆえです。「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかは、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」。  人々が教会に集まり、大きな会堂ができれば私たちは大胆にイエスを語ることができるのでしょうか。教会の活動が増えて、大学案内や会社案内のような立派な教会案内ができれば、もっと積極的に人々を招くことができるのでしょうか。決してそうではありません。もしそう信じているとしたら、それはまさしく作られた神話でしかない。キリストは自らしもべとして仕えられ、ご自分の力を誇ろうとはされませんでした。使徒がイエスを「ナザレ人」と語っているところは聖書に何度も出てきますが、「世界の王」と語ることは一度もありません。「世界」も「王」も使徒の働きの説教にはほとんど出てこない。ナザレ人で十分なのです。ナザレの王ではなく、ナザレ人で十分なのです。地上の誇りなどいりません。神の大いなる力が私たちを覆うために、私たち自身は小さな器のままでいいのです。その小さな器がこぼれ、世を満たすまでに神のみわざが注がれることを求めようではりませんか。  ペテロは旧約聖書の詩篇のみことばから、イエス・キリストを「礎の石」と呼びました。「礎石」を英語では「コーナーストーン(cornerstone」と言います。日本では礎石と聞いて思い浮かべるのは大きなコンクリートの土台かもしれませんが、英語ではまさに「隅(コーナー)の石」です。本当に大切なものは目立たない隅にこそあります。週報の表紙に、支倉常長の肖像画を印刷しました。この世では決して報われなかった常長ですが、しかし美術史の専門家によると、このような構図で肖像画が描かれているのは、カトリックで聖人と呼ばれている人だけだそうです。この絵の作者は不明ですが、組織の矛盾に翻弄されながらも信仰を全うしている常長の姿に、キリストの謙遜さを確かに見ていたのです。私たちは、この世ではナザレ人です。弱く、さげすみを受ける人生です。しかしやがて天に迎え入れたとき、そのときの肖像画はどのような姿で描かれることでしょうか。世の矛盾をえぐり出す福音が、まずナザレという小さな所から生まれ、そして使徒や支倉のような人々がそれを誇りとしつつ、世界へ出ていったことを心にとめながら、私たちも今いる小さな場所から始めていきましょう。 (この説教にあたり、2013年6月8日全国朝祷会大会における、山口陽一TCU教授の特別講演「支倉常長と後藤寿庵の信望愛」を参考にさせていただきました。)